夢を見た。また夢を見た。久しぶりの夢。意識が混交する契機となった、あの時以来の夢。 目の前に広がる景色まであの時とまったく同じだと気がついて、俺は逸る心を抑えながら人影が現れるのを待った。 俺はもう知っている。現れる人影はユウ。夢でしか会えない、俺の愛しい人。 ほどなく、地平の彼方にぽつりと立つ影に気づいた。思わず足を踏み出して、そのまま駆け足でそこを目指す。近くなってくる影。 それは確かにユウで、彼はただこちらをじっと見つめて立っていた。どこか物言いたげな顔。 「 」 ユウの唇が動くのが見えた。でも、遠くて音までは届かない。 俺はまた一歩距離をつめた。ユウはもう目と鼻の先にいる。手を伸ばせば肩にふれられそうな位置。 一瞬躊躇って、ぐっと手を伸ばした。空を掻く、不吉な感触。 「え」 気づいた時には俺は夢の中の地面に倒れこんでいて、目の前にはユウの足があった。 慌てて首を伸ばせば、こちらを見下ろすユウが見える。 ほっとして、顔が緩んだ。 「ちょっと、焦り過ぎたさ」 もう一度、今度はちゃんと間合いを測って。今度こそユウに触れたい。抱きしめたい。 起き上がりざま手を伸ばした俺は、今度はちゃんとユウを腕の中におさめたはずだった。なのに。 自分の体を抱えるばかりの腕。 愛しい人は、数歩離れた先で俺を無表情に見つめて、そうして俺に背を向けた。 「待・・・・っ」 最悪の夢。頭のどこかで夢の終わりを知覚した。目の前が真っ暗になる。 「いやだ!!」 必死の思いが通じたのか、闇の中で俺は何かを掴んだ。それを起点に、巻き戻るように世界が色を取り戻す。 ぽかんとしたユウの顔が目の前にあって、俺はユウの手を掴んだ腕に一層力をこめた。 「やっと・・・・会えた」 「・・・・・・お前は本当に・・・馬鹿だな」 ユウの顔が泣きそうに歪んだ。 「・・・・・・・・・やはり無茶だったか」 「どうした室長」 「神田くんの意識をひっぱり出せません。ラビの意思が邪魔をしているようですよ」 「・・・バカ弟子が」 「ラビの意識ともども奥の方へ潜られてしまいました・・・これじゃあ僕にはどうしようもない」 困り果てた声にそぐわない笑顔。無表情にそれを見遣って、ブックマン。 「なんとかならんのか」 「できません」 「そうか」 「どうしましょうねぇ」 「待つ」 「そうですか」 神田の眠る部屋。その横に運び込まれた寝台に、横たわるのはラビ。 この部屋にあるのは、命を支える精密機械と、心を移す得体の知れない発明品と、その操り人と、それを監視するものと、 あとは椅子が数脚。 ブックマンは手近な椅子を引き寄せて腰をおろし、コムイもそれにならった。 「室長」 「なんでしょう」 「私たちは流れゆくもの。重い荷物に足を取られている暇はないのだ」 「・・・・わかっています」 「ユウ」 目を合わそうともしないユウに焦れて名前を呼んだ。舌打ちすらない。ユウの手を掴んだままの腕を、振りほどかれることも。 何の反応も返ってこない。 「ユウ」 もう一度名前を呼んだ。不安が胸をちりちりと焦がす。もしかしたら俺が必死の思いで捕まえたコイツは、ユウじゃないのかもしれない。 思えばユウは俺の中にいたのに、俺の声にまともに答えてくれたためしがない。そんなユウが、のこのここんな所に姿を現すだろうか。 疑心暗鬼を生ず、湧き上がる疑念はむくむくと質量を増して、俺の心をいっぱいにしていく。 「ユウ、答えてよ」 再三の呼びかけにもユウは答えない。いっそもう、この手を放してしまおうか。思うのに、指が動かない。どうしても諦められない。 いい加減往生際の悪い自分に笑いだしたくさえなった。 ふいに、聞き慣れた声が鼓膜を震わせる。 「馬鹿に言うことなんざ何もねェよ」 「ユ」 「離せ、俺は行かなきゃならねェ」 掴まれていることに今気がついたかのように、ユウはぶんと大きく腕を振った。手を放そうとしない俺に顔をしかめる。 「おい」 「・・・・・・・久々にまともに顔合わせたのに、他に言うことないんさ?」 「なにが”まとも”だ。馬鹿」 「馬鹿でいい。 どこ行くんだよ」 「どこでもいいだろ」 「よくない」 「離せ」 「嫌さ」 鋭い眼光が俺を射抜く。ぐっと腹に力をこめて、俺は視線を真っ向から受け止める。 ユウはしばらく俺を睨みつけたまま動かなかった。 沈黙。 「どうして俺を放っておかなかった」 詰問するような声。 「俺はあのまま死んでも構わなかった」 「俺が構う!」 反射的に答えると、ユウの眉間の皺がくっと深さを増した。ひるみそうになる心を抑えて、俺は言葉を重ねる。 「どんな形でも俺は会えて嬉しいさ。もし・・・もしユウがあのまんまだったら、こうしてまたユウと話すことなんて一生できなかった」 「戦争だ、そういうもんだろう。お前のがわかってるんじゃないのかブックマン」 「わかることと理解ることは違う。・・・すげー実感させてもらいましたさ」 「チッ」 これみよがしに舌打ちをして、ユウは今度こそ俺の手を振り払った。おまけとばかりに強烈な一撃を俺の鳩尾に見舞い―― もちろん夢だし痛いわけはないのだが――凶悪な顔をして俺の胸倉をつかんだ。 「大体テメーには言いたいことが山ほどあるんだ」 「う・・・ハイ」 「俺の知らねーとこで勝手ばかりしやがって。意識の移植? ハッ、馬鹿じゃねェか? しかもやっておいてメソメソメソメソ泣きごと垂れ流しやがって・・・見ててイラつくんだよ」 「えっ・・・ちょ、見てたって」 「テメーは俺なんか背負いこんでる場合じゃねェだろJr.。俺だってテメーの荷物になるのなんざ願い下げだ。 これに懲りたら二度と血迷った真似すんじゃねェぞ」 「・・・・・・・・俺は何度目だって同じ選択をする、さ」 「・・・・・・おい」 「なっ、なに」 「ハラ立つ。一発殴らせろ」 「理不尽さ・・・・」 鼻の奥がツンと痛んだ、気がした。泣きそうだ。恐喝でもされているような格好なのに、嬉しくて仕方がない。 腕を伸ばしてユウの頭を抱きこんだ。重なる唇。ユウは抵抗しない。胸元にあった手がわずかに弛んだ。 「・・・・は、ぁ」 「・・・・・・・ッ、気が済んだかよ」 「足りない・・・・全然」 「テメーに聞いた俺が馬鹿だった。 ・・・ったく」 どん、と胸を強く押されて後ろにつんのめる。反り返るような格好でかろうじて踏みとどまった俺に、ユウは意外な台詞を吐いた。 「こんなとこで油売ってる時間は俺たちにはねーんだよ。帰るぞ」 「・・・は?」 「帰んだよ。 呆けてんじゃねェ馬鹿ウサギ」 「だって・・・・」 面食らう俺。だってそうだろう、帰るってなんだ。 そんなことできるなら、俺は今ここでこんなふうに、泣きそうになってたりなんてしない。 「俺が帰るっつったら帰るんだよ」 「どうやって?」 「なるようになんだろ」 「答えになってないさ!」 「るせェよ。 ほっとけ。 大体お前はいらねー世話が多すぎなんだよ」 余計なことばかりしやがって、吐き捨てて、ユウは不敵な笑みを浮かべた。 「ラビ」 胸がとくんと鳴った。久しぶりに名前を呼ばれた気がする。 「帰・・・れる? ほんとさ?」 「あァ。帰る」 「また・・・・・会えるんだよな」 「くどい」 目の前のユウはいつものユウと変わったところなんてどこもないはずなのに、なんでか胸が騒いだ。予感がした。 それでも譲らないだろうユウを眼の前にして、俺はうなずくしかない。 「わかった。向こうで会おう。ちゃんと元気になって、仕事にも復帰して・・・任務キツくても、すれ違いばっかでも、会おう。 絶対、ぜったい・・・・会おう? そんで、さ。たくさんたくさん話そう。 夜は二人で眠ろう、な?」 ユウは虚をつかれたような顔で動きを止めた。ふい、と視線を足もとへ落としてしまう。 焦れた俺は手を差し出して、 「ユウ、約束!!」 「・・・・・・・覚えてたらな」 手は素気無くかわされて、それきり、夢の世界は暗転した。
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