妙なことになっている。夢でアイツを怒鳴りつけてやったあの日から。 寝ていても起きていても、時折アイツの声が聞こえるようになった。それが最初。 聞こえてくる声は大体俺を呼ぶ情けない声で、なんだか落ち着かない気分になるから俺は独り言のように悪態ばかりついていた。 いつしか、悪態に返事が返ってくるようになった。やっぱり、ひどく情けない声で。 聞こえてるの、ユウ。 聞こえてんだよ、うるせェ、だまれ。 え、なに・・・聞こえない。 うるせェ。 んー・・・何コレ、電波悪い通信機みてぇ・・・。 俺の方にはだだ漏れでも、俺の声はアイツになかなか届かないらしかった。 「どーいう仕組かはわからんけど、へへ、よかったー。ね、ユウ、元気? どう? 俺の体」 「・・・何が、元気?だ・・・・よ、・・・・・クソ」 「ユウみたいに剣術やってたわけじゃないからしばらくは使いづらいかもしれんけど、ごめんな」 「・・・・・・・馬鹿野郎」 「あー・・あとなんだっけ。ユウに言おうと思ってたこと、いっぱいあったんだけど、びっくりしすぎて忘れたさ!! うぉぉ俺としたことが・・・ッ」 「・・・お前、どうかしてるぜ」 「・・・え? なにユウなんか言った?」 「イカレてる、だろ。 なんでそんな・・・普通に話しかけてくんだよ・・・!」 一方的に進められる会話ともつかないもの。俺は苛立ちを募らせるばかりだった。 理解できなかった。他人の意識を自分の中に移植するなんて、気違いじみたまねをやってのけて、お前はどうして いつもみたいに俺に話しかけてくる? 俺たちは、もう以前とは決定的に違うのに。どうして、何も変わってないようなふりをする? 何を必死で、そんな。 「俺はユウが生きててくれるだけでいいんさ」 その言葉が嘘か本当確かめる術はなかった。 ただ作り物めいた言葉の空虚さが胸をざわめかせた。そのあとはもう何も耳に入ってこなかった。 言葉が素通りしていく。 俺は”声”を排除するようにきつく目を閉じた。 「意識の混交?」 「そ。 なんかユウには俺の考えること、わかるみたいなんさ」 「へぇ。 よかったね」 「うん。 ・・・・・でも」 「でも?」 コーヒーを片手に聞き返してきたコムイに、ラビは頭の後ろで手を組んで、 「俺にはユウの声聞こえてこないんだよなー。なんでだろ」 「神田くんに無視されるようなことしたんじゃないの、ラビ。 物凄くアホなこと考えてたとか」 「違う・・・と思うけど」 「じゃあエッチなこととか」 「真面目に考えろよコムイ」 「僕はいたって真面目だけど?」 「うそつけ」 ここは司令室。任務を終えて、報告ついでにコムイと雑談していた。ブックマンはすでに退出済みだ。 ブックマンは、ラビが神田の意識を宿したあとも全く変わりない様子で、それだけに不気味だった。 ブックマンの後継者という立場をなんだと思ってる、とかなんとか、しばかれるのは覚悟していたのに。 ひょっとして見限られたのかも、とか思わなくもないが、何にせよ、彼は何も言わないのでわからない。 きちんと話をしなければ。思いながら時の過ぎるのにまかせてしまっていた。 時計に目をやってから、ラビはコムイにくるりと背を向けて、 「んじゃコムイ、時間だから俺行くさー」 「・・・あんまり長居しないようにね」 「わかってる。 ちょっと、様子見てくるだけさ。いつも通りいつも通り」 ヒラヒラと手を振って、扉が閉まる。 静かになった部屋の中でコムイはそっと息をついた。 温くなったコーヒーを喉へ流し込んで、空のマグを無造作に置いた。 下敷きになった書類の立てるカサリという音が、やけに大きく部屋に響いた。 「ユウ・・・・・・」 映像まで見えたのは初めてだった。 俺はラビの中から、”ラビ”を見ていた。 「・・・・・いつまで、寝てるの」 ラビは薄暗い部屋の中、ひとつだけ置かれたベットの傍に屈みこんで。 何だかわからないが、これでもかというほどのコードやチューブやらを体につけた、寝台の上の人物の手を恭しく取って、 そっと自分の頬にあてて。 潤む視界は涙か。絞り出すような響きは懇願か。 「ユウ・・・・起きて」 寝台の上に寝かされているのは、俺? 「こんなの嫌さ・・・・これじゃお前を抱きしめられない。いくらユウが生きてたって、目を見て話すことも、手をつなぐことも、 頬に触れることも、髪をすいてやることも・・・・なんにも、なんにもできない」 お前は言ったじゃないか。俺が生きてさえいればいいって。 「なぁユウ。俺は欲張りかな。勝手なやつかな。嬉しいのに悲しいんさ。ユウに生きててほしかった。ユウの気持ちを無視して、 俺のわがまま通したはずなのに、こんな・・・・なぁユウ。起きて、俺を怒鳴りつけてよ。殴ってもいい。何発でも受けるから・・・っ」 もし俺が”外”に出ている時だったら、迷わずコードを、チューブを、引きちぎっていただろう。不自然に延命される自分の姿に怖気がはしった。 ラビは、俺がこの光景を見ていることまでは気づいていないようだ。 つらかった。 ラビの中でこんな風にラビを眺めているしかない自分が。消えてしまいたいと思った。あの時、死んでしまえればよかったのに。 俺の苦しみも知らないで、ラビは俺に生きろという。どんな姿でもいいから生き延びろという。 俺が生きていればアイツは喜ぶ。俺が消えたらアイツは悲しむ。でも俺が生きていてもアイツはちっとも幸せじゃなさそうで、 こんな中途半端に生を与えられている状況は、俺を真綿で締め付けるようにじわじわと痛めつけて、気が狂いそうで。 いっそ消えてしまいたいのに、俺にはそれさえ許されない。 神にささげる儀式の後のような厳かな気持ちで、俺はそっとユウの眠る部屋の扉を閉めた。 実際は祈りなんて綺麗なものじゃない。清いものじゃない。俗っぽい妄執にまみれた人間のエゴ。 抗いがたい大きな力に流されながら、もがく虫ケラの醜い足掻き。 それでも、手を伸ばさずにはいられない。 ユウの体は一応延命措置は続けられているが、それ以外に手の施しようがない状況らしい。 普通ならとっくに死んでいるはずの傷、人間の体の持つ自己治癒能力なんて、とてもおっつかないほどの傷。 黒の教団の持つ技術力では、延命はできても治せはしないらしい。 どうすることもできない医療班は、棚上げにするようにユウをこの部屋に安置した。 今はユウを助けるためにいろんな治療法を探しているのだというが、まぁつまる所状況は絶望的だ。 このままならユウは死ぬのを待つしかない。だからこそ俺は、ユウを俺の中に受け入れた。 生きていてくれること、それだけでいいと、思ったのは嘘じゃない。 でも俺はあくまでも、甘んじてこの状況を受け入れているにすぎない。 ユウがいなくなってしまう、その最低最悪の結末を回避するために、ワースト2ぐらいの案をとっただけだ。 棺桶に片足突っ込んでるようなユウの体は、冷たい。 チューブまみれの体じゃ、抱きしめられない。 俺の中にいるはずのユウは俺に何も答えてくれなくて、俺は、自分の中でユウが生きてる、嘘みたいな現実を精一杯 信じることで、なんとか自分を保っていた。 「俺を戻せ、コムイ」 「無理だね」 間髪入れずに返された答え。 コムイは仕事を処理する手を止めない。目も書類の上から動かない。 「・・・・なんでだ」 「体の持ち主・・・・ラビの意識が邪魔をするんだよ。体の中から、魂を無理やり引っ張りだすようなもんだからね。 ラビがうんと言わなきゃ、できない」 「じゃあ戻さなくていい。 俺を消せ、コムイ」 「・・・・断る」 「コムイ」 「神田くん」 コムイはようやく顔を上げた。 「大事な人を死なせたくないと思うのは当然だろう」 「俺は生きていたくない。 こんなの、死んだ方がマシだ」 「君がどうでも、僕たちは生きててほしいんだよ。 君に」 「生きるも死ぬも、俺の勝手だろうが」 「僕らも勝手を通してるだけさ」 「殺せ」 「断る」 「・・・・・頼む」 「嫌だ」 コムイは絶対うんとは言わない、そんなの最初から分かっていたが、俺は頼まずにいられなかった。 もう限界だった。ただ生かされるだけの自分も、生きていてくれるだけでいいなんて嘘ばかりつくラビも。 俺が生きてて何の意味がある。俺の体じゃないから、まともに刀も使えない。俺の体じゃないから、俺の勝手に動くこともできない。 俺の体じゃないから、いつだってお前は隣にいない。 俺はどうして生きている。何のために。誰のために。俺を生かしたくせに、お前は理由さえくれない。 生きていてくれさえすればいい。俺は存在さえしてればいい。何のためにでも、誰のためにでもなく、ただ存在していれば。 ・・・・・・・反吐が出る。 「やってもらおうか、室長」 割って入ってきたのは意外な人物だった。 「・・・・・・ブックマン」 「神田の意思が固まっているなら話は早い。さっさとラビを元に戻してもらおう」 あれはブックマンの後継者、勝手をしてもらっては困る。 コムイと、俺に向けられる鋭い眼。何もかも見透かすような目。その強さに気圧されそうになって、俺はふいと目をそらした。 どうも苦手なこの老人も、味方だと思えば心強い。 「だとよ、コムイ。さっさと俺を戻せ」 「さっきも言ったはずだよ神田くん。ラビの承諾なしには――」 「構わん。私が許可する」 「そういう問題じゃあないんですブックマン!」 「俺は構わない」 「神田く」 「だ、そうだが。室長?」 「・・・・・・・・・・」 よろり、と後じさったコムイの頭から帽子が落ちて床に転がった。目を見開いて、唇をぐっと噛み締めて。 何かに堪えるように全身を硬直させていたコムイの体から、ゆるゆると力が抜けていく。 うつむいた彼は、小さく、重い声で、わかったよと呟いた。 「君を戻そう、神田くん。 君の、体に」
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