たとえば、愛しくてたまらない人がいたとして。 あまりに強い想いから、何よりもその人に近い場所にいたいと、願うようになったとする。 ひとつになれたらいいのに。 そんな台詞はこの世界のどこにも、あふれかえって。 ならもし、好きな人と、この世の何よりも、自分自身と引き換えても足りないくらい大事な人と、望み通りひとつになれたら、 人はその時、何を望むのだろう。 俺は答えを知っている。 会いたい。 そう願うんだ。 君はもう俺と同一の存在で、近過ぎて、あまりにも近過ぎて、この目にさえ映らないから。 強く願うよ、せめて、 [夢で会えたら] 『大変です、血圧・体温共に低下、心拍数も――』 『傷が塞がらない・・・・! 輸血を! 早く!』 『これは、もう――』 白く靄がかかったような視界の向こうに、ちらちらと忙しなく行き来する影が見えた。多分人だ。ぼんやりと輪郭を捉えられるのみだが、 耳鳴りの向こうからかろうじて伝わってくる声からするとどうやら近くにいるらしい。 いまいち距離感がつかめない。五感がてんで当てにならない。ふと思いついて右手に力をこめてみた。なんとなく感覚はあるが、自分は以前 こんな重いものをどう動かしていたのだろう、そう思うほどに動きは鈍かった。まぁそれは右手に限ったことではないのだが。 体が重かった。それでいてどこか浮遊感があって、あとは妙に寒さを覚えた。血の気の引いていくあの感じと似ている。不思議と痛みはない。 一度気を失う前――つまりはおそらく教団の医務室であるここに運ばれてくる前、現地でのことだが、その時は遠のく意識の中でもはっきりと 全身を苛む鋭い痛みを感じていた。今はそれもない。傷を治すときに感じるなんともいえない違和感や痛みも。だから、腑に落ちた。 自分でも驚くほどすんなりと。 俺はもう駄目なんだろう。 覚悟はしていた。自分が不自然に歪められた生を生きていたこと。ありえない生命力。自己治癒能力。その代償。減りゆく寿命。所詮は”完全” ではない、不死の体。全部わかって戦っていた。自分にしかできない、無茶な戦い方もした。後悔はしていない。未練はあるけれど、抗っても 無駄なことはなんとなくわかった。今目を閉じたら、きっと二度目はない。 しかし俺はこんな所で終わるのか。いつも通り任務に向かって、力及ばずに致命傷を負わされて、こうして最期を迎えて。 それなのに何の感傷もない。心はなぜか静かで、ただただ近づいてくる死の実感があるだけだった。 あの人に会うまでは、その誓いは果たせなかった。もう過去形で考えている自分に気付いて舌打ちがもれた。もらそうとした。 うまく音になったのかはわからない。瞼がひどく重い。 ゆるゆると目を閉じる。白で埋め尽くされた視界に闇が落ちていく。そこに一点、鮮やかなオレンジ色がちかり、と、一瞬だけ煌いた気がした。 体に一瞬だけ、ぐんと重みを感じた気がした。 その感覚を最後に、”俺”は完全に闇に沈んだ。 はずだった。 『ユウ・・・ユウ!? どうしたんさ!? こんな怪我・・・いつものことだろ! お前なら・・おま』 『ラビ! もうよせ!』 『もうって何さ! そんな・・・・俺は、認めねェ』 『ラビ・・・・・』 『ユウ、起きて・・・・冗談、キツイさぁ・・・・・。俺をからかってるんだろ、なぁ、ユウ・・・!!』 『・・・・・・・・』 『くそ・・・・ッ・・・・・・・どう・・・してこんなことに』 『ラビ』 『・・・・・コムイ』 『神田君は・・・・・』 『コムイ、ユウを助けてくれよ! 何でもいい、お得意の発明で、・・・・・なんでも・・・何でもいいんだよ』 『・・・・・・ラビ』 『なんでもする! なんだって差し出す! 今を変えてくれるなら、どんなことになってもいい!!  こんな・・・こんな終わりだけは、嫌さぁ・・・・・っ』 『なんでも・・・・・なんでもいいのなら、方法がないわけじゃない』 『・・・・・・コム』 『君は馬鹿だ。こんなことをしても神田君は喜ばないよ。きっと物凄く怒る。 ・・・・でも、僕も、馬鹿なんだよ・・・・・・・・』 暗い闇のなか、俺を呼ぶ声が聞こえた。 前後左右上下、なにもない虚無の中にぽつりとひとつ、灯りが見えた。 それはとても暖かくて、慕わしくて、誘われるままに手を差し伸べたら、一層光を増して瞬いた。 どこまでも強く大きくなる光はそのまま俺を呑み込んで、俺をかき消さんばかりに輝いて。 ――声が、聞こえた。さっきより強く。体の奥を震わせるような響きで。 お帰り、ユウ。 ごめんね、おはよう。 言葉は頭のどこかに引っ掛かる前に、するりと手から抜け落ちていく。ただ甘く切ない余韻だけを胸に残して。 そうして俺は目を開けた。 目を閉じる前とは違う感覚。視界ははっきりしているのに、どこか違和感を感じた。すぐにわかった。 ”右側がない”んだ。 借り物のように現実感のない体をなんとか起こした。目の前で、曖昧に微笑む見知った顔。コムイ。 「・・・・コムイ、これはどういう――」 「兄さん、神田がひどい怪我って本当なの!? ・・・・――え」 俺が奴を問いただす前に、リナリーが部屋へ駆け込んできた。俺を見て固まった表情。見開かれた目。 それは俺の怪我の程度がひどいからじゃなくて、きっと、 「説明しろ、コムイ、・・・・ラビ」 俺はここにいてここにはいないもう一人に呼びかけた。 「俺はどうして生きている?」 どうして、お前の姿をして。 ラビ。       ・BACK・  ・NEXT・