キィと、本当に微かな音をとらえて、アカはそちらへ顔を向けた。 ひょこりと扉から覗く小さな顔に、読んでいた本を閉じて戸口へ走り寄る。 「ユウ! 今日は何して遊ぶさ?」 「・・・・本はいいのか?」 「だいじょーぶ」 「なら、行くぞ」 今日は森に行く。 この前行った所よりもっと深いところだ。 にっと笑った神田に、アカも挑戦的な笑みを返す。 二人手を繋いで、仲良く廊下を歩きだした。 アカが教団を訪れてから、一週間ほどの時が過ぎていた。 初めて来た日出会ってから毎日、二人は朝から晩まで一緒にいた。 他愛のないことを話し、共に遊び、食べ、眠る。 その様子に周囲は思わず目を細めた。 嘘みたいに綺麗な青空の下、ジェリーに渡された麦わら帽子をかぶって、二人は森を奥へ奥へと進んでゆく。 「教団は凄く高い所にあるんだ」 「知ってるさ。 切り立った崖の上にあって、ちょっとやそっとじゃ襲撃できないようになってるんだろ?」 「そうだ。だからこの森を抜けるとすぐ――」 「崖さね」 「眺めは最高だぞ」 「門からずっと下ってけばいいんじゃ・・・」 「森を抜けた方が面白いじゃねぇか。 それにこっちのが近道なんだ」 「はいはい」 軽口を叩きながら歩く。 こんな高地にも蝉はいるようで、まばらに鳴く声が響いていた。 「暑いな」 「そうさね」 次第に話しも尽きて、口をついて出るのはどうにもならない気温への文句。 髪の毛が長い分、神田は見るからに暑そうで・・・・アカはこまめに神田の様子を窺っていた。 ちらちらと向けられる視線に気づいたのか、神田はふと繋いだ手に視線を落とす。 「・・・・・手、汗かいてるな」 「放そうか?」 「いや、いい。 お前が迷子になったら面倒だ」 「・・・・そ」 汗をだらだらかいて、全然余裕がなさそうなのにこの台詞。 アカは苦笑して――なんだかくすぐったい気持ちになって、つないだ手に力をこめた。 と、繋がっていない方の神田の手が、そわそわとその背中を探っているのが目に入る。 手は神田の背に負われた刀――六幻に触れると、安心したように元の位置に戻って行った。 なんとなく気に食わなくて、若干不機嫌そうにアカは口を開く。 「ユウはいつも六幻と一緒さね」 「あ? ・・・あぁ。 ないとな、落ち着かねぇんだ」 「教団の中は安全なんじゃねぇの?」 「・・・・なんつーか」 六幻は、宝物で、相棒で、お守りなんだ。 手を離すなんて考えられねぇ。 至極真面目な様子で神田は言う。 「もしかしたらコイツもキセイガタじゃないかと思うんだ」 「キセイガタ?」 「テキゴウシャの体の一部になるイノセンスだ。  俺のも、ホントは武器じゃなくって、俺の一部になるはずだったんじゃないかって思うくらい、それくらい六幻は俺の大事な大事なものなんだ」 「・・・・・・・へー」 あんまり熱っぽく語るから、気づいたら言葉はポロリと零れ落ちた後だった。 「じゃあ俺とソイツと、どっちが大事?」 動きを止めた神田に、アカはしまったと思った。 モノになんか嫉妬して。 折角できた友達なのに。 第一出会って一週間かそこらの自分と六幻とでは、築いてきた絆の深さが違う。 あっさり六幻、と答えられて、惨めになるのは目に見えているのに。 完全に失言だったと思い、慌てて取り消そうとしたのも束の間、聞こえてきた台詞にアカは耳を疑った。 「どっちも」 「だよなーもちろん六幻に決まって・・・・・って、え?」 面食らうアカに、神田は当然のこと、といった調子で続ける。 「初めての友達なんだ」 「・・・・・・」 「お前といると楽しい。 六幻がないのも困るけど、六幻はお前みたいに一緒にあそんだりできないしな」 「・・・・・うん」 アカはうなずくのがやっとだった。 思わぬ返答に心臓がバクバクいっている。 立ち止まったまま動かないアカに焦れて、神田は手を引いて促す。 「おい、どうした? もうちょっとで着くぞ」 「あ・・・ごめん。 何でもないさ! さ、行こ行こ」 「・・・・・・やっぱり変なやつだ」 呆れたように呟く神田。 二人はまた手を繋いで歩きだした。 「わー・・・・・・・」 「すげぇだろ。 俺達、鳥よりも高いところにいるんだぜ」 森が開けて目に入ったのは雲海。 真っ青な空に湧き上がる入道雲。 吹き付ける風と本能的な恐怖に負けずに崖の端近に寄れば、眼下にはミニチュアのような街が遥か遠くまで広がっていた。 繋いだ手にぐっと力をこめて、アカはこの景色だけはどんなものより鮮明に焼き付けておこうと思った。 もちろん、となりにいる神田のことも、一緒に。 教団に戻って神田と別れてアカが割り当てられた部屋に戻ると、ブックマンが帰りを待っていた。 しばらく見かけなかった彼が部屋にいるのを見て、アカは何か不吉なモノを感じた。 いや、戸を開けて彼がいるのを見た時から、もう告げられる言葉はわかっていた。 「あと一日で仕事にカタがつく。 二日後の朝、発つぞ」 「・・・・・・・わかったさ」 それは、夢のような日々に終りを告げる言葉だった。     ・next・ ・back・