―――遠く、蝉の鳴く声が聞こえる。 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。枕もとに転がる本を横へどけつつ、ゆるゆると身を起こす。 汗で張り付いた服が気持ち悪い。 こもった熱気をどうにかしようと窓に近づいた。 涼風、とまではいかないが、室内よりは幾分ましな空気が流れ込んできて、部屋に散乱する紙を巻き上げる。 ラビはうーん、とひとつ伸びをして、ぼんやりと窓の外を眺めた。 教団に入って2度目の夏。 [secret base] 太陽は随分傾いてきたようだが、それでもまだ外の世界には白い光が氾濫していた。薄暗い室内にいたせいで、余計に眩しく見える。 目を細めて窓に背を向け、ベットにごろりと横になった。 再び心地良いまどろみの世界に引き込まれかけながら、ふと気付いて今日は何日かと指折り数える。 「ひぃふぅみぃ・・・・・と」 8月10日。 自然に顔が綻んだ。 たぶん彼は覚えていまい。もう10年ほども前のこと。 それでもそれは、自分にとって宝物のような大事な記憶だった。 長い地下水路を延々進んで、船はようやく目的地についたようだった。 差しのべられた手に素直に従って、地面に降り立つ。白い服をまとったその青年は、好奇心を隠せない様子で俺の方を窺っていた。 そういえばここまで船頭を務めてくれた男も、周りにちらほらいる男たちも、皆一様に白い服をまとっている。 「黒の教団へようこそ、ブックマン。 室長がお待ちです」 「ああ」 俺に続いて降りたジジイに、恭しく頭を下げる白づくめたち。 ブックマンがもてなされている――というか、このジジイが注目されている所なんて見たことがなかったから、余計奇妙な光景に見えた。 石造りの通路は階段へと続き、物珍しさにせわしなく辺りを見回していたら容赦なく鉄拳が飛んできた。 「ってぇ!!」 「もっと落ち着きをもたんか、バカ弟子」 「だってジジイ、何も教えてくれてねーじゃん」 記録地についての情報くらいくれたっていいさ。 殴られた箇所をさすりさすり、小声で訴える。 今までにもいくつかの場所を訪れ、記録してきたが、どの時も自分が「どこ」へ「誰」として「何」を記録するのか、事前に教えられていたのに。 先を歩くジジイは、振り返りもせずに言葉を返す。 「今回の仕事は記録ではない。請われて一時的に留まるだけだ」 「ふーん。 なんか珍しいさね」 「短い滞在になろう・・・いつでも発てる準備をしておけ」 「へいへい」 発つ準備も何も・・・ジジイに従ったときから、俺は立ち止まったことなんてない。 その時が来ればまた移ろいゆく、それだけだ。 室長との会見のあと、俺だけ先に部屋に案内された。 小ぢんまりとした部屋の中、とりあえずベットに腰かけて、何をしようかと考えをめぐらす。 ジジイが仕事している間、大抵は一人待つことになるから、こういうのには慣れている。 ここにはたくさんの蔵書があるらしいから、それらを片っ端から読むのもいいし、なかなか探検のし甲斐もありそうだ。 考えるだけでわくわくしてきて、いてもたってもいられずに、そっと扉を押し開けた。 廊下を意気揚々と進みながら、まずは本にしようと決める。 さぁ、書庫探しも兼ねて探検だ。 「――ん?」 続く廊下の先、柱の陰から、こちらを窺う気配があった。 結わずに流された黒いさらさらの髪。警戒するように睨みつけるその瞳もまた、吸い込まれそうな黒色だ。 自分と同じくらいの小さな子供がいるとは思っていなくて、どうしていいかわからないで立ち尽くす。 と、子供は少しずつ俺の方ににじり寄って来た。 「なんだ、お前」 「え・・・・・・」 「お前もエクソシストなのか?」 「ち、違うよ。 そんな変なモンじゃないさ!」 「変なモンじゃねぇ!!」 子供がすごい勢いで怒ったから、とりあえずごめん、と謝っておいた。 子供はなおも不審な目つきで俺をじろじろと見まわしている。 「じゃあ何しにきたんだ、お前」 「ジジイの・・・一緒に旅してるジイサンの仕事らしいさ。 俺達ブックマンなんだ。 誰も知らない、世界の裏の歴史を綴って回ってるんだぜ!」 「ふーん」 とっておきの秘密にも、子供はさして興味をそそられないようだった。 「お前、今、暇か」 「え? ああうん」 「来い」 ぐい、と手をひかれるままに、俺はその子について歩き出す。 「お前、名前なんていうんだ」 「俺は――えっと」 「忘れたのか? 自分の名前」 「・・・そうみたい」 へらりと笑ってごまかすと、子供は呆れたような顔をした。 「しょうがないやつだな。 俺はユウ。 神田ユウ」 「神田・・・日本人さ?」 「わかるのか?」 「伊達に旅してまわってねェさ」 得意げに言って見せると、その子は一瞬きょとんとして・・・噴き出した。 何かおかしかっただろうか。 その笑顔がかわいらしくて、また何で笑われているのかわからずに困って、赤面して俯いた俺の頭を、子供――ユウはそっと撫でてくれた。 「面白いやつだな。 ――決めた、お前のことはアカって呼ぶ」 「・・・髪が赤いから?」 「そうだ」 「安直さね・・・」 ユウは俺の呟きなんか気にしていないようだった。 俺の手をぐいぐい引っ張ってせかす。 「とっておきの場所があるんだ。 一緒に遊ぼうぜ」 ユウのとっておきの場所だという大樹の上は、なるほど景色もよく、涼しくて、夏の午後を過ごすのにぴったりの場所だった。 凄いだろう、と笑ったユウに、俺も素直にうなづいた。 しばらく二人して木の枝に跨ったままぼんやりとしていたが、俺は意を決して沈黙をやぶった。 木登りをしていて、気になったことがあったたのだ。 「その刀って、ユウの?」 「そうだ」 ユウは刀を背から降ろして、愛おしそうに撫でた。 「俺の大事な相棒だ」 「・・・・ユウも戦わなきゃいけないの? まだこんなに小さいのに?」 「俺は選ばれたから、戦わなきゃならないんだ」 瞳に宿る意志は強かった。 人間は戦いばかりだ。こんな小さい子にまで武器を与えて殺し合いを強要するような輩に腹が立った。 「選ばれたって・・・誰に?」 「コイツに」 「刀・・・・じゃん」 「コイツは・・・六幻はイノセンスなんだ。 俺はイノセンスのテキゴウシャだから、世界のために戦わないと駄目なんだ。 アクマを倒せるのはイノセンスだけだから」 さも当然のようにユウは語るが、俺にはわからない単語だらけだった。 片っ端から意味を尋ねると、意外と何も知らないんだな、とまた笑われた。なんだかユウには笑われてばかりだ。 「アカ」 「なに」 「お前はどうして旅してるんだ?」 「歴史を綴るためだよ」 「レキシ・・・・アカはガクシャなのか?」 眉をひそめて難しそうな顔をしたユウに、今度は俺が笑った。 「違う・・・・けど似たようなもんかも」 「そっか・・・・すげぇんだな。 本とかいっぱい読むのか?」 「そうさね・・・読書は好きだけど」 感心したように息を漏らして、俺は本を開いただけで眠くなるぞ、と続けた。 目をまん丸くしたユウが可愛くて、可愛くて・・・・はっと見とれていた自分に気がつく。 「どうした? 顔赤いぞ」 「何でもないさっ。 それより、もっと話聞かせてよ! 俺、ユウのこと知りたい」 「・・・ホント、変な奴だな、アカは」 変な奴と言われても、腹は立たなかった。 きっとその言葉に少しの悪意も感じられなかったからだろう。
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