今彼はどんな顔をしているだろう。 怒っているだろうか。 何も言わずにさっさと逃げ出してしまった僕を。 卑怯な僕を。 怒り顔、そう言えばあまり見なかった。 マヨネーズ蕎麦の、あの時くらい? 記憶の中の彼はいつも落ち着いていて、それでいて無関心ではなくて。 自分が話しかければきちんとこちらに目線を合わせてくれた。 そうしてゆぅるりと、微笑んだ。 目を閉じれば浮かぶのはあの人の姿ばかりだ。 打ち消しても打ち消してもどうにもならないから、今度は逆に、もっと鮮明に思い浮かべようとしてみた。 だのに、そうしたとたんむしろ像はぼやけてしまって、こんなんじゃないと目を開ける。 目を開くと、そこには目を閉じる前と全く同じ風景。 見回してもやっぱりあの人はいなくて、昨夜のできごとは本当に現実のことだったのだと実感する。 認めたくなくて目を閉じる。 その、繰り返し。 [相互依存] 刀を背負ったままベンチにもたれているせいか、どうにも座りが悪い。 トッシーは、ふと、刀をおろして両手で捧げ持つ。 ここへ来る途中にも、幾度となく捨ててしまおうとした刀。自分が持っていてもどうにもならない武器。 こんなもの持っていたって、余計悲しくなるだけだ。 自分が情けなくなるだけだ。 「ふん・・・・ッ」 精一杯の力をこめても、刀は鞘から抜ける気配を見せない。 ほら、やっぱり駄目じゃないか。 周りの人に不審げな視線を向けられているのに気付いて、トッシーは刀を隠すように慌ててまた背中へ背負い直した。 時計を見る。 もうすぐ夜の明ける時間。 地下都市であるこの街は、一日中電気が灯って明るいので、時間の感覚がおかしくなる。 地下都市アキバNEO。 そのはずれにあるこの公園のベンチで、トッシーはただぼぅっと時が過ぎるのにまかせていた。 鉄板で覆われた無機質な空を見上げて、呟く。 「・・・・・・・・これから、どうしよう」 『好きに出てゆくがいい』 「・・・・お別れなんてしたくなかった」 『お前には大事なものがあるんだろう』 「ないよ・・・・ぼ、くには、何も・・・・・・ひっく。 な、に・・・何も」 何もないんだよヅラ子氏。 腕で顔を隠した。 記憶の中の彼に訴えながら、トッシーは嗚咽をもらす。 『土方さん』 『トシ』 「沖田先輩は僕がいなくなってせいせいしてるし、近藤氏も伊東氏という有能な参謀がついていれば僕なんかいらないはずだ。 他のみんなだって、こんな弱い僕のあとについてくるやつなんて、いやしない」 ぼろぼろと涙が零れ落ちる。 泣き過ぎて喉の奥がひくひくと痙攣していた。 しゃくりあげながら、ほとんどひゅうひゅういう息に埋もれて聞こえないほどの小さな声音で、ぽつり。 「・・・・・帰りたいよ」 でも、怖いんだ。 血を吐くような悲痛な声。 泣き声にまじって、それはひどく聞き取りづらかった。 「本当は帰りたいよヅラ子氏。 真選組に帰りたい。 でも僕は怖くてしょうがないんだ・・・」 クビだと言われて。 それだって、切腹を命じられそうになった所をみなの取り成しでなんとか免れての処置だ。 みんなの所に帰りたくても、もうそこにトッシーの場所はなかった。 どうしようもなくて、あてもなく街をさ迷って、そうして、ヅラ子氏に会った。 あの時も確かに寂しくて心細くて辛かったけど、今の身を切られるような痛みの比ではない。 こんなにも苦しいのは、こんなのも悲しいのは、もうあの人に会えないから。あわす顔なんてないから。 気づけば自分の中で、随分と大きく想いは膨らんでいた。 「・・・・・もう、ヅラ子氏の所にも帰れない」 何事もなかったような顔をして、また会いに行けばいいじゃないかと悪魔の声がする。 意志の弱い自分だけれど、これだけは曲げるわけにはいかない。 あのまっすぐな人のとなりに、後ろめたい気持ちを抱えたまま立つことなんてできない。 「思えば僕は初めからダメダメで・・・」 ヅラ子氏を守るどころか、チンピラに絡まれたのを助けてもらって。 居候させてもらって。 「こんな・・・・」 トッシーはぐすっと鼻をすする。 こんな別れ方はしたくなかったよ。 「エリー」 『何ですか桂さん』 「・・・いや、その」 『そんなに早く伝令は回りませんよ』 「・・・・・・・・そうか」 アキバNEOのとあるビジネスホテルの一室を借り、ともかくも一息ついたのがついさっき。 エリザベスに頼んで、仲間に無事を知らせるための伝令の手配をしてもらい――桂は携帯を持っていないため、他の浪士たちと 連絡をとりづらいのだ――1時間と経たない内に、何度このやりとりを交わしたかわからない。 気を紛らわすように茶をすする桂。 ついでもついでもすぐ空になってしまう湯呑に、エリザベスはまた新しく茶を注いだ。 『そんなにトッシーのことが気になりますか』 「・・・・・そ、そういう訳ではなくてだな。 俺は皆がちゃんと逃げのびたかどうかが、心配なだけ、で・・・・」 台詞は尻つぼみになる。 「・・・大丈夫だろうか」 『今は勝手に動かないで下さいよ』 「わかっている」 桂は瞑目して、静かに湯呑を置いた。 『どうしてアイツにそんなに目をかけてやるんですか』 「・・・わからん。 どういう訳か気になってしょうがないのだ」 むぅ、と首をひねる桂に、エリザベスはすかさず次の札を上げる。 『惚れましたか』 「どうしてそうなる!」 『この漫画のヒロインが幼馴染の少年に同じ感想抱いてましたよ』 「まじでか。 ちょっと貸してくれ」 受け取った少女漫画を開き、数ページ読み進めては何やら感心したように声をもらす。 一通り目を通し終わった桂は、ぱたんと本を閉じてエリザベスに返した。 いつの間にか暖かいものに取り換えられているお茶。 すすってみて熱さに気づき、時計にちらりと目をやる。 「・・・・伝令は」 『まだです』 「・・・・・・気になってしょうがない件だが」 『何かわかりましたか』 「さっぱりわからん」 おなごの心とは奥深いな。 見当違いのことを言って重々しくうなずく。 「そもそもこの女子は本当にこの幼馴染の少年に惚れているのか?」 『というと?』 「煮えきらんにもほどがある。自分の気持ちにくらいはっきりしたらどうなのだ」 『そういう態度も駆け引きの一つなんじゃないですか』 「好いた自覚もなしに、駆け引きも何もなかろう。 第一、男女の間の駆け引きというのはだな・・・・」 『ん?』 ふと、エリザベスが何かを見とめたように、窓の方を向いて動きを止めた。 「どうかしたのかエリー?」 『あれは・・・・・・』 札を持っていない方の手で、エリザベスは窓の外を指さす。 ホテルのすぐ前の道を誰かが歩いていた。 かなり高い階にあるここからでは、誰々と判別するのはやや難しい。 それでもその黒い頭髪と頭に巻かれたパンダナを見て取って、桂は部屋を飛び出していた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ もしかしてもしかするの桂さん、第八話。 トッシーがヘタレたヲタクを通り越してマダヲになってきてます。 ヘタレだけど変な所は頑固で常識もった子だと思ってます。
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