暗い室内に、妖しく灯る紫の光。 それは、一振りの刀の纏う燐光だった。 人々は既に寝静まり、誰も光に気づくものはいない。傍らに眠る男も、健やかな寝息を立てるばかり。 淡い光は徐々に強さを増し、刀身がかたかたと共鳴を始める。男が身じろぐ。ひときわ強い光を放ち、刀はぴたりと動きを止めた。 再び部屋に満ちる静寂、闇――・・・・・ ふと目を開けば、まだ薄闇に閉ざされた室内。ぼんやりと天井の輪郭が見て取れた。 襖越しに染み入ってくる白い光が、じわりじわりと闇を駆逐していく、早朝。 昨夜床に入ったのは随分遅い時間で、正直こんな早くに目が覚めるとは思わなかった。現に、意識はまだ半ば以上まどろみの中にある。 どうして目が覚めたのか、考えることを拒否して眠ろう眠ろうとするばかりの頭にまかせるまま、彼――土方は再び安穏とした眠りに身を 任せようとして―― 覚醒は一瞬だった。 なにより先に、それを感じ取った瞬間体が動いていた。跳ね起き、今いた場所から飛び退る。 人の気配。けれど、自分から寝所へ誰か招いた覚えはない。 とすれば、今感じた気配、すなわち傍らにいた誰かの目的はどうせろくなものではなかろう。 寝起きどっきりから本気と書いてマジに寝首をかかれることまで、屯所では何が起こってもおかしくない。 「誰だァ!!」 牽制も兼ね、わざと大仰に誰何する。しながら、視線をめぐらせた。 先ほどまで自分の傍らにいたと思しき人物を確認して――土方の思考は動きを止めた。 「ん〜・・・おかーさんあと5分・・・・」 “ヤツ”の発した気の抜け切った寝言に、ハッと我に返る。 ――ついさっきまで自分が寝ていた布団、その場所にそいつはいた。 見覚えはありすぎるほどだった。けれど、誰だかわからない。 思いだせないのではない。 ”認められない。” だって、俺は、ここにいる。 そして、蒲団の上にも、俺がいる。 「え? 幽体離脱?」 現実から極力目をそらしながら、考えうる事態の中から自分でもなんとか納得できそうなものを必死で探した。 一応体のあちこちを触って確かめてみるが、当然だが透けてるなんてことはなく。 セオリー通り頬もつねってみたが、現実の痛みが夢なんて安易なオチに逃げられないことをつきつけてくるばかりだった。 [土方十四郎の分裂] 結局頑として起きなかったもうひとりの自分を置いて、近藤の部屋へ相談に行った土方にかけられたのは、 「トシィ、お前それ、夢でも見たんじゃねぇの?」 という至極もっともな言葉だった。しかもなんかかわいそうなものを見る目でこっちを見ている。 その菩薩のような目をヤメロォォォォォォとか思うが、しかし自分が近藤の立場だったらそっくり同じ反応を返しただろうことは目に見えているので、 土方はぐっとこらえて言葉を探した。 とりあえず、近藤さんだし。総悟じゃねーし。総悟じゃねーし。 「俺も夢だったらどんなにいいかと思うんだけどよ、」 「だったらじゃなくて夢だよ夢。んもぉー、朝一に昨日見た夢の話をしにくるなんて、かわいいでちゅねーとうしろうくんはー」 蒲団の上、寝間着姿のままの近藤はぷくくくくと笑いながら土方をこづいてくる。 うんざりした気持ちで受け流しながら、なんとか説得を試みる、土方。 「近藤さん、ちょっと真面目に聞いてくれよ・・・・」 「お前こそ真面目に考えてみろ。分身? 百歩譲って幻覚とか錯覚とかそんなんだろ。きっとお前ェ、朝から高速移動してたんだよ。 寝てた自分が見えるくらい高速で飛び起きたんだよ。頭冷やして部屋に戻ってみろ、誰もいねェから。勢いよくパーンて襖開けてみ」 パーン 「ちょっ、いたっ!! 痛いでござるよ沖田氏!! もう少し優しく・・・」 「近藤さーん、土方さんがまたヘタレやしたァ。もう除名しちゃっていいと思うんですがどうでしょう・・・・ってなんでここにも土方がいるんでィ」 「ひィ・・・っぼぼぼぼぼぼぼぼ僕がもう一人っ!!?」 「「・・・・・・・・・・」」 声を失くした近藤を見て、このときばかりは沖田に少しだけ感謝しながら、夢として片付けたかった思いを溜息と共に追いやって土方は言った。 「これでわかっただろ近藤さん、嘘じゃねーんだよ」 「・・・・やーコレ、ほんっと似てるなー。どこで見つけてきたんだこんなそっくりさん。 でも駄目だぞ、総悟。うちにはもう一人いるから十分でしょ! 元の所に返してらっしゃい!」 「でも・・・・おれ、ちゃんと餌もやるし世話もするからっ・・・」 「駄目です、うちには二匹も飼うような余裕はありません!」 「なんで拾ってきた子犬扱いィィィィィィ!!?」 土方が思わずツッコむと、近藤は恐る恐る彼と、沖田に連行されてきたもう一人の彼を見比べて、 「・・・・夢オチとか、だめ?」 「駄目だ」 「事情はよくわかりやせんが」 沖田はぽりぽりと頭をかきつつ、 「土方さん、コイツはドッペルゲンガーってやつでさァ いよいよ死期が近いってことですねィ。 俺の長年の苦労もようやく報われる時がきたってもんだ、めでてぇなァ」 「えっ僕ドッペル!? むこうじゃなくて!?」 黒笑を浮かべる沖田と、うろたえるもう一人の土方。 土方は、苦虫を噛み潰したような顔で、 「・・・・・超常現象は信じねェ」 「人生諦めが肝心ですぜィ。大人しくくたばれよ」 「テメーがくたばれ」 「まぁまぁ、トシも総悟も落ち着けって・・・」 二人の間を飛び交う火花に、近藤が仲裁に入る。 沖田はやれやれというように軽く頭をふった。 「仕方ねェ・・・本当のところを言いやしょう。俺、実はこれとよく似た話を聞いたことがあるんです。 なんちゃらっていう呪術の効果にそっくりなんでさァ」 「なんちゃらってなんだ、なんちゃらって」 「そこは忘れやした」 「駄目じゃねェかァァァ」 「ぐふぅっ」 ツッコミがわりに投げつけた手近にあったものと書いて枕、は、沖田がよけた為にもう一人の土方にあたり、彼を完全に沈黙させた。 当の沖田はけろっとした顔で、 「それより、呪われるような心当たりあるんですかィ、土方さん」 「・・・・・・ありすぎる」 「でしょうねィ」 「でしょうねってオイ。オメーが筆頭だから。知ってんだぞ毎晩丑の刻参りやってんの」 「まァ原因がわかればこっちのもんです。いいですか、目を閉じて、呪文を3回唱えてくだせぇ、それで呪いは解けます。 スデヌイノタキオウッショイハレオ。はい復唱!」 勢いにつられたように、土方は口を開く。 「ス、スデ・・・・なんだ?」 「スデヌイノタキオウッショイハレオ!」 「スデヌイノタキオウッショイハレオ、スデヌイノタキオウッショイハレオ、スデヌイノタキオウッショイハレオ」 「はい、今度は逆から!」 「あァ? ・・・・・オレ、ハ、イッショウオキタノ・・・・・・」 「声が小さい!!」 「殴っていいか」 「いやですともォ!」 「・・・で、結局コイツはなんなんだ?」 沖田の胸ぐらを掴んだまま視線を向ければ、いつの間にか倒れ伏したもう一人の土方のそばにしゃがみこんだ近藤が、難しい顔で観察している。 沖田がはーいと手を挙げて、 「トッシーです」 「あん?」 「トッシーというと・・・」 「ヘタレでヲタクな土方さんでさァ。 コイツ、朝っぱらからテレビアニメ見てやして。 ぷりきゅあがどうとか」 「・・・・・・・・・・」 そういえば、刀がないと土方は気づいた。呪いにかかって以来、気づけば手にあった妖刀が今は手元にない。そしてもう一人の土方の腰にある。 これは、やはりまた、あの刀がらみの一件なのだろうか。 土方が考えに耽る横で、近藤はうーんと唸り、 「・・・・・そうだな、万事屋のヤツらに相談してみたらどうだ。その刀の一件でも随分世話になってるんだろう」 「ちょっと待ってくれ、近藤さん。 なんでアイツらなんかに・・・」 「背に腹は代えられねェんじゃないですかィ、土方さん」 「・・・・ンなに切迫した状況でもねーだろ」 「わかりませんぜ? もしかしたら分身に生命力吸い取られてたりとか」 「・・・・・・・・」 ニタァと大層気味の悪い笑みを浮かべた沖田に、背中をうすら寒いものがはしる。 「・・・・・・行きゃあいいんだろ、行きゃあ」 やけくそ気味に言い放って、土方はもう一人の自分――トッシーを引きずりながら、近藤の部屋を後にした。
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