目を閉じてしまえば、感覚全てが世界から切り離されたようにさえ感じた。 狭い部屋の中、風の動きはない。 熱くもなく、寒くもなく。 しんと静かな中に、ただ闇だけが広がっている。 それを敢えて意識することもない。 目は何も写さない。 皮膚は何も感じないし、耳は音を捉えない。 今それらはすべて、自分の内へと向けられているから。 “外”から意識を離して、深く深く落ちて行く。 真っ暗な中に意識だけがぽんと放り出されているような感覚を受けながら、何もしない。 この状態を保とうと、意識することさえ憚られる。 ただただ、無とひとつになろうとする。 「ユウ、寝てるの?」 耳に息がかかるくらいの距離で言われて、極限まで高まりかかっていた俺の精神統一は一瞬にして崩れ去った。 静かに瞼を押し上げれば、俺の顔を覗き込んでいるヤツと目が合う。 「起きてたさ」 「出てけ」 「・・・開口一番にソレ?」 「うるせェ。 大体何でお前がここにいる?」 リナリーに教えてもらったんさ、と笑って、ヤツ――ラビは俺の左側に腰を下ろした。 もともと素直に出て行くとは思っていない。取り合うのも面倒で、俺は再び目を閉じた。 が、どうも集中できない。 苛立ちを感じつつ薄目を開ければ、ニコニコとこちらを見つめるヤツのだらしない顔がぼんやり見えた。 「・・・・・出てけっつってんだろ」 「俺も座禅しに来たの」 「ならさっさとやれ」 「やってるさーちゃんと足組んだし」 「・・・・・座禅ってのは精神統一するためのもんなんだよ」 「してるしてる」 「どこかだ」 「ユウのことだけ考えてるさ」 「死ね」 言い捨ててきつく目を閉じた。 さっきまで完全に排することのできていた外向きの感覚が、いらないことまで聞こえるくらいに過敏になってしまっていて舌打ちする。 「しばらく会えてなかったんさー仕方ねぇじゃん。全然足りねェの」 「・・・・・・・・・」 「団服じゃないユウも久々だし」 「・・・病室でくさるほど見ただろ」 「俺も寝てたもん。 ノーカウント」 「嘘つけ。 人の寝顔見ながらニヤけてただろうがこの変態が」 「・・・・・・起きてた?」 「当たり前だ」 気づけば会話になっている。 これでは集中どころではない。 最期の抵抗とばかりに目だけは開けず、組んだ足も崩さずに、それでも明るい声に誘われるまま、ついつい 口を挟んでしまう。 「アレンがめっさ食って、クロちゃんがナントカカントカであるーってへろへろしてて、リナリーが笑ってて、 ミランダも笑ってて、それを遠くから面白くなさそうに見てるユウがいて・・・・・・帰って来たんだなって思うさ。 すげぇ嬉しい」 「・・・・・・・そーかよ」 「でもユウは、なんかふさぎがちさね? ここんとこココに閉じこもりっきりさ」 「・・・お前たちとは違うんだよ」 これも修行のうちだ、イノセンスがねェってのは修行をさぼる口実にはなんねェからな。 ラビは面白くもなさそうに、ふぅんと答えた。 「ユウの修行熱心は今に始まったことじゃないさ。 でも」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・いや、何でもないさ」 途中で止めるな、最後まで言え。 言葉は喉まで出かかったが、どうしてかそこでつっかえて音になることはなかった。 部屋に静寂が戻る。 隣にラビはまだいるのだろうか。 動いた気配はないが。 すっかりラビの方を探ることに夢中な自分に気付いて、苛立ちが募る。 波立った心を無理やり抑えつけようとして、舌打ちが漏れた。一度切れてしまった糸は直せない。 先ほどのような集中状態に戻るのは無理だろう。たとえラビを、叩きだしたところで。 だって自分はこんなにも、動揺している。 『その胸の模様どうしたんです』 『そんな大きいタトゥー入れてましたっけ?』 ノア野郎との戦いで濃く、大きくなった胸の梵字は、今も変わることなく。 俺自身梵字について詳しいことを知っているわけではない。 けれどもそれが、命を削り過ぎたせいで起こった現象なのは確かで。 痛みはない。 じわじわと広がっていくわけでもない。 ただ厳然と、そこにある。 ・・・・・恐ろしかった。 そう、俺は恐れている。 この命の、終わりを。 あとどれくらい耐えられるのだろう。 梵字は何も教えてくれない。ただ砂時計の砂がまた滑り落ちたのを、俺に見せつけるだけ。 あと一度、大きな傷を負ったら、もう治らないのかもしれない。 それでも、俺は、戦場を後にする気にはなれなかった。 「・・・・・・・・・・止めてほしい?」 まるで俺の心を読んだかのように。 唐突に、ラビ。 「・・・・・何をだ」 「言わないよ。 行くな、とも、やめろ、とも」 言うだけ損さ。 俺の左胸にラビの手が触れる。 「心配してる」 「・・・・・・」 「ほんとさ。 コレ見て、心臓止まるかと思った」 「・・・・・お前には関係ねェ」 「・・・・・・・そ。関係ないんさ俺には。それがユウの生きる道、だもんね?」 「・・・・・・・・」 苦笑するような声。 次に滑り出した言葉は、がらりと変わって冷たい口調で。 「六幻が直らなければいい」 「馬鹿か」 「ユウには関係ないさ。俺が勝手に思ってるだけ。 ユウが、戦場に戻らなければいい・・・・・」 「・・・・・・・・・お前も戻るんだろ」 「俺とお前の戦場は、同じじゃないよ、ユウ」 穏やかに、けれどきっぱりと告げられた台詞。 思わず目を開ければ、すぐ近くにラビの顔があった。 ほんの少しだけ額に触れて、離れていく唇。 「・・・・・・ラ」 「生きろよ」 それだけ言ってラビはすっくと立ち上がり、振り返りもせずに部屋を後にした。 誰もいなくなった部屋はがらんとして、妙に広く、寒々しく感じた。 「馬鹿やろう・・・・・・」 あんな顔をして。 きっと胸には色んな台詞がぱんぱんに詰まってる。 俺にもわかる、そんなこと。 そのひとつとして口に出さないで。 生きろよ、なんて、 たった一言。 膝の上で堅く手を握りしめる。 「死なねぇよ・・・・・・・」 余計な世話だ。俺はあの人を見つけるまで、何があったって死なない。 それが終わったら。 終わったら? 生きてたって・・・・ 生き残って、戦争が終わって、俺に何が残るって言うんだ? お前は隣にいないのに。 俺達の進む先はくっきりと別れているから、だから、何も言わなかったくせに。 馬鹿やろう。 [物言わぬ、 ] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ いつぞやの座禅を見ていて。チラリする梵字がとても気になった件。 ラビは本当はもう戦うなって言いたいんだけど、自分にはそんな資格ないって思ってて。 ユウちゃんの生きる意味を奪うも同じことをしたって、自分には背負いきれないから。 別れを前提としてる微妙な距離感が好きです。
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