昨晩の嵐が嘘のように、清々しいまでに晴れ渡った、朝。 回廊を満たす陽光に目を細めながら、昨晩で読み切ってしまった本を持って史料室へと向かう俺を、追ってくる声があった。 「ラビ!」 「・・・・お、アレンか。どしたん?」 「・・・いえ、姿を見かけた、から・・・・というか」 アレンは曖昧にほほ笑みながら、語尾を濁す。かける言葉を探しあぐねているようだった。 彼とこんな風に二人きりで向き合うのは随分久しぶりな気がした。無意識に前髪をかき上げて、目の前のアレンを見る。 目が合いそうで、合わないのは俺が逸らしているのか、それとも。 「そーいや久し振りさね」 「最近お互いに任務続きでしたからね」 「しかもすれ違いばっかな。クロちゃんとは4日前くらい? 食堂で会ったさ。  なんか泣かれそうになったんだけど」 「クロウリーもラビと会いたがってましたから」 「嬉しいけどよー・・・なんかまるで俺が苛めたみたいだったさ。めっさ注目浴びたし」 「ラビが心配掛けるからですよ。自業自得です」 「俺が?」 しれっと返す俺に、アレンはため息をついて、目を伏せた。 「神田も」 「ん?」 「・・・・神田も、心配してましたよ」 「え、マジで。あのユウが心配?」 「”こんなこと”になって少しは丸くなったんじゃないですか。相変わらず憎まれ口しか叩きませんが、心配、してるみたいでしたよ」 「・・・・・そか」 アレンは知っている。 俺の中にユウのいること。 でもアレンは知らない。 俺の中にユウがいたこと。 そして俺は知っている。 アレンが嘘をついていること。 それでも俺は信じようとしている。 アレンの言うことこそが真実だと。 「ありがとな、相変わらず俺とユウとは話せないみたいだから、助かる」 「別に、大したことじゃ」 「でもユウが心配かー!! なんかこそばゆいさね、照れる」 「・・・ちょっと、デレデレしないで下さい鬱陶しい。だいたいあなた方、始終イチャついてたんですから今更照れるも何もないでしょう」 「いやーでもユウってば極度のツンデレさんだし、心配されるとか、そういう、表に出して俺を気遣ってくれるとか・・・・あんま、ないんさ。  どうしよう、まじで嬉しい」 「・・・・安上がりでいいですね」 アレンは呆れたように言って、それも通り越したのか、最後には笑い出した。 「ふふ、ねぇ、ラビ」 「なんさー?」 「あ・・・えーと、・・・・・・・任務はどうだったんですか? 昨晩帰って来たばかりと聞きましたが」 「は? ああ、別になーんもトラブルなし。その代わりイノセンスも外れだったけどな」 とんだ骨折り損さ、と肩をすくめて見せたら、アレンはクスクスと長引く笑いを抑えながら、それは災難でしたね、とちっとも同情してない様子で言った。 「おま・・・全然災難だと思ってないだろ」 「いいえ? すごくかわいそうだと思ってあげてますよ?」 「それはドウモ」 「どういたしまして」 ご丁寧にも返してから、アレンは、ところでどこへ行くんですか、と問うてきた。 俺が手に持った本を軽く振って見せると、納得したように、ああ、と言った。 「そういうお前はどこ行くんだよ、こんな朝早くに」 「食堂です。もうお腹が減って減って、とても寝ていられなくて」 「朝からその食欲、見習いたいもんさね」 「遠慮しなくていいですよ。好きなだけ見習ってください」 「真似できるか!」 「あはは」 じゃあ僕はこれで、と、ちょうど分岐の所で、アレンは手を振って食堂方面に通じる道を選んだ。 おう、と応じて、俺も逆側へ歩を進める。 自然なやり取り、自然な会話、自然な別れ。 俺はちゃんと装えていた? 俺はちゃんと笑えていた? まだ距離のある廊下を、急ぐでもなく、歩いてゆく。 無意味な薄ら笑いを刷いた自分の顔が見えるようだったけど、自分の意志ではどうにもできそうになかった。 滅多に人の近づかないコムイの実験室のフロアには、なかでも特に、人目には触れぬ隠れた一室がある。 隠れた、とはいえ、俺はもう目をつぶって立って辿り着けるくらい、幾度となくこの部屋を訪れたけれど。 「おはよう、ユウ」 そっと、ユウの頬に触れてみる。その艶やかな髪を、梳いてみる。 「今日はいい天気さ。昨日はあんなにひどい天気だったのに! ったくまるで人の任務帰りを狙ったみたいさー?  ここまでカラッと晴れちゃうと、なんかムカツくんですけど」 ふぅ、とわざとらしくため息をついてみせる。 閉じたままの瞼を、そっと指でなぞった。 「わかってるさ、普段の行いが悪いせいだって言いたいんだろ? でも俺真面目にオツトメしてんよ?」 ユウが見てないとこで。 囁きは、心の中だけに留めておいた。 機械の駆動音がうるさくてしょうがない。これじゃあ、ユウが何か言ったって聞こえないじゃないか。 「はいはいわかりましたぁ! 早く行けってひどいさー。油売ってるんじゃないって、ユウちゃんの容態を見に来たんです!!  元気そうで安心したさ、・・・・・」 なんだかよくわからないチューブの束を慎重に避けて、彼の胸へと触れてみた。 伝わってくる鼓動だけで、満たされる気がした。 同時に、キリキリと強く胸が痛んだ。 「だから、もう行くね」 大仰に言って、勢いをつけて立ち上がる。 そのまま部屋を出ようとして、どうしても我慢できなくてもう一度振り返った。 「早く傷、治せよ、ユウ」 答える声はないと知っていて。 君が生きているだけで幸せなんだ。 あの時の約束、忘れたわけじゃないんだ。信じていないわけじゃないんだ。 けれど、ユウのいない世界はこんなにも、こんなにも。 君を想うことがこんなにも苦しいならいっそ―― [けれども離れるという選択肢はどこにもなく] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 けれども離れるという選択肢はどこにもなく 「夢で逢えたら」の続きです。救えないです。夢でも会えない。現実でも、会えるけど会えない。 生きててくれればいいとは願ったけど、君は死んではいないけど。 目を覚ますはずないのをわかっていて、それでも明日はと、信じ続けることしかできなくて。       ・BACK・