戸を引き開ければ、むわりと流れ出して来るぬるく湿った空気。 いつものように、誰もいないのを確認して後ろ手に引き戸を閉める。 まぁ脱衣所は無人だったのだから、誰がいるはずもないのだが。 入口には清掃中の札をかけてあるし、この貸し切り状態が破られる心配はない。 手桶で湯を掬って軽く体を流してから、神田は湯船に足を入れた。 [風呂場の攻防] 岩場を背もたれのようにして体の力を抜けば、じんわりと沁み入ってくるお湯の熱さが、任務での疲れも、傷も、癒してくれる。 「・・・・ふ・・・・・」 湯から受ける心地よい浮力に身をまかせながら、神田はうっそりと目を閉じた。 この大浴場は悪くない。あのコムイが考えたにしては上出来だ。 時々湯に得体の知れない”何か”が混入されているのが難だが。 ただ、個室のシャワーが取り払われて大浴場に一本化されたことで、ひとつだけ問題があった。 神田は誰かと風呂を共にするのが苦手だった。 というか、肌を見られるのを嫌った。 胸の梵字が、受けた傷を残さぬ体が、好奇の目にさらされることを。 それについてコムイも理解を示し、神田が一人で風呂を使えるようにと、清掃中の札を使う方法を提案してくれた。 神田はそれ程長風呂な方でもないし、大抵は夜中や早朝に入浴するため、あまり他の利用者の妨げとなることもない。 そんな訳で、今日も神田は思いきり貸切風呂を満喫できる――はずだったのだが。 ガラリ、と戸の引き開けられる音がした。 慌てて身を起しかけたものの、弛んでいた体は咄嗟には反応できずに、バランスを崩して湯に深く沈みこんでしまう。 「・・・・・ッがほっ・・」 思わず飲んでしまった湯に咳き込みながらなんとか立ち上がると、脱衣所とをつなぐ戸口の所に、ぽかんとした顔のアレンが立っていた。 風呂の時間を邪魔された怒りと、今の失態を見られた気恥ずかしさから、幾分八つ当たり気味に神田はアレンを怒鳴りつけた。 「てめェモヤシ!! 何で入ってきてやがる!?」 「・・・アレンです。 何でって・・・ここは共同浴場ですよ? むしろ何で怒られなくちゃならないんですか」 「清掃中の札がかかってたろうが!!」 「・・・? 知りませんけど」 ムっとした様子で答える彼に、神田は少し不安になって、自分は確かに札を掛けたかどうか記憶をたぐる。 習慣化されすぎた行動ゆえに記憶は曖昧だったが、掛けた・・・気がする。 「それに、もし仮に札が掛かってたとして、無視して入ってるのは神田も一緒じゃないですか」 「・・・・・・・俺が掛けたんだよ」 「神田が? 掃除してた様には見えませんでしたけどね」 嫌味ったらしく言うアレンに、神田は何も言い返せずにイライラと舌打ちした。 アレンは気にした風もなく、さっさと湯船に足をつける。 肩までつかって、伸びをひとつ。 「うーん、極楽極楽」 「やってられねェ・・・・・」 「あれ神田、掃除はいいんですか?」 アレンと入れ替わりに湯から上がろうとした神田に、アレンはのほほんと声をかける。 湯船の上り口まで来ていた神田は、無言で、ギロリと彼を睨みつけた。 アレンはにこにこと笑って、 「冗談ですよ。 折角ですから、もう少しつかっていきませんか? 神田とお風呂ではち合わせるなんて、めずらしいですし」 「てめェと風呂なんざご免だ」 取りつく島もなく吐き捨てた神田に、アレンは笑みを深くする。 「・・・とかなんとか言って、実はのぼせただけだったりして?」 「あ゛?」 「さっきもフラフラしてたみたいですし? 情けないですねーまぁでも上がりたいって言うなら止めませんけど」 「上等じゃねぇか・・・」 上がりかけていた神田はくるりと踵を返し、ザバザバお湯をかきわけて、アレンからはやや離れた所に腰を落ち着かせた。 アレンには背を向けて、体はしっかりと肩まで湯につけて。 ホント、負けず嫌いだよなぁ、と一人ごちて、アレンは神田の背中に向かって声をかけた。 「・・・何でみんなとお風呂入らないんですか?」 「・・・・・・・」 「東洋の人のが、他人に裸を見られるのに抵抗薄いって聞きましたけど」 「・・・・・・・」 「・・・・・かん」 「ゴチャゴチャうるせェ!! だまって浸かれ!!」 振り返りざま、もの凄い勢いで怒鳴られてアレンは口をつぐむ。 正直言えば、湯に浸かり続けているのも少々辛くなってきた。 そして、濡れた黒髪の纏わりつく艶めかしいうなじをただ眺めているだけという状態もまた。 神田が風呂に入る時は一人らしいことを突き止め、脱衣所の前にこっそり張り込んで、ようやく彼の入浴時間に行き合ったのだ。 普段は六幻を手放さず、危なくて近寄れたもんじゃない彼も今は無防備。加えて誰も邪魔しに来ない絶好のチャンス。 (覚悟して下さいよ、神田) チッ、と舌打ちして、また元のように体を戻した神田の背後へと、アレンはできるだけお湯を波立たせないように気を配りつつ、静かに近づいた―― その時。 ふいに飛んできた手桶がアレンの目の前を通り過ぎ、岩に当ってカコーンと小気味良い音を立てた。 その音に振り返った神田は、すぐ傍まで距離をつめていたアレンにぎょっとしてザバっとその場に立ちあがる。 神田の跳ね上げた湯をもろに顔に浴びながらも、アレンは湯の中で座ったまま手桶の飛んできた方向を見据えていた。 「・・・・・ラビもお風呂ですか? 奇遇ですねぇ。 でも服くらい脱いできたらどうです? 慌て過ぎにもほどがありますよ」 「ちぃーっと、悪さしようとしてる奴が目に入ったもんでね」 「悪さ? 何のことですか?」 「胸に手をあててよく考えてみるといいさ」 ウフフ、アハハ、と笑いあう二人の間には、なんとも険悪なムードが漂う。 と、先ほど手桶を放った張本人――ラビは、ふいと神田に目を転じて、 「ユウ、大丈夫さ!? コイツに何もされんかったか?」 「・・・モヤシに俺が負けるはずねェだろ」 「アレンです。 どっちが強いか白黒つけときましょうか?」 「やんのかコラ」 「・・・・・・・ユウ、とりあえずこっち来て」 ラビは服を着たまま浴場に入ってくると、風呂の縁まできて神田を手招いた。 憮然としながらも、神田は招きに応じて移動する。 神田が動く間も、アレンとラビは剣呑な目つきで睨み合っていた。 神田が縁まで来たところで、ラビは一息に神田を湯から引き揚げ、腕の中におさめる。 突然の行動に、神田は驚いて抗議の声を上げた。 「おい・・・・ッ」 「・・・・・服が濡れますよ? ラビ」 「構わんさ」 逃れようとする神田を抱く腕の力を強くして抑え込んで、にっこりとラビは笑う。 答えてアレンも笑み返し、 「放してあげたらどうですか? 嫌がってるみたいですけど?」 「ちょっと恥ずかしがってるだけさ。 そこがかわいいんさー、ユウは」 「ポジティブですねー。 そこまで自分に都合よく解釈できるなんて凄いですよ」 「・・・・・言ったろ?アレン。 ユウは俺のだって」 「知りませんね。 それに、あなたの意思なんて関係ありません。 要は神田次第ですよ」 ねぇ神田、と水を向けられて、神田は動きを止める。 「どうなんですか? あなたはラビが好きなんですか?」 言葉に詰まって視線を上げれば、静かに自分を見下ろすラビと目が合って、神田はなんとなく目線をまた下へ戻した。 「・・・・・・くだらねぇ」 「あなたなんて”くだらない”そうですよ、ラビ」 「!! そういう意味じゃ・・・!」 ない、と、そこまで言って、あとが続かない。 中途半端に言葉を止めたままの神田をアレンは面白そうに眺めていた。 「わかったわかった。 そんなに言うんなら、ちっと見せつけてやるか」 唐突に言い出したラビに、何をする気かと神田は身構え、アレンもぴくりと片眉を上げる。 ――ラビが次にとった行動は彼の予想をはるかに超えていて、神田は一瞬反応が遅れた。 その隙に、神田の下腹に伸びたラビの手は、神田の分身を捉えていた。 「ば・・・・ッ! 何しやがる!」 「大人しくしてて、ユウ」 「大人しくしてられるか!! ・・・・・っう・・・」 握りこまれ、指でぐりぐりと刺激されれば、思わず声が漏れてしまう。 自分の弱いところを知りつくしたラビの指使いに、状況を気にする余裕は奪われていった。 「・・・・・も、・・・はな・・・せ・・・・・ッ」 「ここでやめちゃっていいんさ?」 「っあ・・・・ぁああ」 ぐ、と指先が白くなるほどにラビの肩を掴み神田は快楽をやり過ごす。 それでも、扱かれ、擦られ、様々に与えられる刺激が、神田を次々と襲う。 何度目かの波が来たとき、彼は耐えきれずにラビの手の中に欲望を吐き出していた。 「・・・・・・・・はぁっ・・・」 「ご馳走様でした、というべきですかね?」 面白くなさそうに放たれた言葉で神田はアレンの存在を思い出し、頬に朱を上らせた。 達したばかりの体では何事もままならず、ラビにもたれかかる腕に思うさま体重をかけることで抗議する。 ラビはラビで、飄々とした顔で指を汚す白濁を舐めとっていた。 アレンは湯から上がると、二人の横を素通りしてさっさと脱衣所に向かう。 「もういいいんか?」 「よく言いますよ。 これ以上見せる気なんてないくせに」 「これでも結構サービスしたんだぜ?」 「はいはい。 そんなんで神田に愛想尽かされないといいですね」 「お前に心配されたらお終いさ」 「人の心は移ろいやすいものですよ」 「肝に銘じておくさ」 ピシャリと脱衣所と浴場を仕切る引き戸が閉じられ、浴場に沈黙がおちる。 ラビが恐る恐る神田を抱いていた腕を解くと、案の定鬼の形相をした神田と目が合った。 「てめェ・・・・」 「わ、悪かったさユウ! 落ち着いて!」 「・・・・・っあたま・・・・・・冷やしてこいッッ!!」 「どわ―――っ!!!?」 力任せに放り投げられ、ラビは頭から風呂へダイブする。 イライラと舌打ちし、神田はラビが浮き上がってくるのも確かめずに脱衣所へ引き上げようとした。 ――と、そこで気づく。 今行けば脱衣所にはモヤシがいるはず。 さして広くない脱衣所でアイツと二人きり・・・・・・。 何とははっきり言えないが、なんとなく嫌な予感がして神田は足を止めた。 ザパァ、と派手な音を立ててラビが湯から顔を出したのはほぼ同時だった。 「っあ――・・・・ひでェなー。 服ビショビショ」 「自業自得だ」 「そりゃ急にあんなことした俺も悪かったけどさ・・・・」 ぶつぶつ言いながら、ラビは濡れた服を脱いでいく。 「・・・・・ユウを盗られるなんて、ぜってーごめんだったし」 「他にいくらでもやりようがあんだろ。 つか、盗られるってなんだ盗られるって」 「アレンもユウを狙ってるんさ!」 「はァ? アイツは単に俺をからかうネタが欲しいだけだろ。 ・・・あァくそ、最悪な所見られちまった・・・・・・・・・・」 「・・・・・・ユウ、頼むからもうちょっと自覚持って・・・・・・・・・」 いつの間にか湯から上がってきていたラビにぎゅうと抱きしめられ、神田は身を固くした。 濡れてしまったために服を脱いでいるから、熱をもった素肌が直に触れて、何だか妙な気分になってくる。 「・・・・・おっきくなった?」 「・・・テメ、もう一度投げ飛ばされたいか?」 「や、それは勘弁して下さい」 「・・・・・・・・いい加減に離れろ」 「それも勘弁」 はぁぁ、とこれ見よがしに大きくため息をついてみても、いっこうにラビは離れようとしない。 もうどうにでもなれと神田が思い始めた時、ラビがふいに口を開いた。 「ねぇユウ」 「あ?」 「今度から一緒に風呂入ろ?」 「断る」 「え――!? だって危ないさ!! また今回みたいなことがあったら・・・・!」 「てめェと一緒のがよっぽど危ねェんだよバカ兎」 「心外さ・・・・・・」 ガクリと肩を落としたラビの手から抜けだし、神田は風呂へと足を向ける。 裸のまま何やかやとやっていたのですっかり体が冷えてしまった。 改めて浸かるお湯の温かさが心地よい。 「おいラビ?」 「・・・・・はい」 元気のない返事が返る。 浴場で情けなく突っ立ったままのラビがおかしくて、神田は口元を綻ばせた。 「浸からねェのか?」 「!! 浸かります!」 いそいそとやってきて風呂に入り、神田の様子を窺う。 「・・・・・近く、行ってもいい?」 「好きにしろ」 嬉しげにこちらによってくるラビに、神田はやれやれとため息をついた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三つ巴祭第二段・アレン→ラビュ編でした。 アレン様とやりあうラビたんが書きたかったんです。 アレン様って黒くてなんぼだと思う。 折角かっこよく(?)終れるかと思いきや、ヘタレの看板は下ろせないラビたん。ご愁傷様です。 またしてもぬるい感じですみませ・・・・・
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