君がこの手を取ってくれるなんて、思ってもみなかったから。
嬉しくて、嬉しくて、何でもできる気がした。
引き換えに失うものはある。 でもかわりに、俺たちは永遠を手に入れる。
願いはひとつだけ。ずっと一緒に。いつまでも、一緒に。








[elopement]









永遠に続くかのような戦いの日々。
ユウは傷つき、彼の時間はどんどん短くなっていく。
AKUMAなんてみんないなくなってしまえと思った。全部全部、壊してやると思った。
そうでなきゃ、愛しい彼の人の心が休まることはない。

――その一方で、あとからあとから際限なくわいてくるAKUMAに、安心をもらってもいた。
明日も、明後日も、今日のような日々が続くのだろうという、漠然とした安心感。
戦いの終わりはすなわち、”ラビ”としての時間の終わりを意味したから。

じりじりと日々を過ごした。
ユウをこの手に抱きしめられるのは、あの黒瞳をこんなにも間近で覗きこめるのは、あといったいどれくらい?


焦燥の黒い炎が、次第に俺の心を蝕んでいった。








「ユウ、俺と逃げよう―――――」



抱きしめて、

キスをして、

ありったけの真剣さと必死さをこめて告げた。

ユウは驚いた顔をして、咄嗟に口を開いた。何か言いかけたようだった。
唇はその何かをかたどりかけて、音を伴わぬまま、ぐっと固く引き結ばれた。
ユウの瞳がこちらに向けられた。じぃっと、ねめつける様な視線を正面から受け止める。

目をそらしたのはユウだった。
ふい、と視線を下に落とし。 その手は白くなるほど握りしめられて。



「・・・わかった」



絞り出された声が、静寂の中でしん、と響いた。

なぜ、とも。

どこへとも、聞かずに。

顔はまだ、伏せたままで。



嬉しかった。単純に。
六幻だとか、エクソシストであることだとか――・・・・ユウを形作るすべて、それよりも、自分を選んでくれた気がして。




「――・・・絶対、ユウは俺が守るさ・・・・」




逆だろ、馬鹿。 そんな憎まれ口が返ってきてもよかったのに、ユウは何も言わなかった。
だまって、俺の腕に体を預けていた。










全部がうまくいくなんて思ってやしなかった。 先を考える余裕すら、俺には無くて。
ただ目に見えない終わりが・・・見えないくせに、ずん、と迫ってくる終わりが恐ろしくて。
それから目を背けたかった。ただ逃げたかった。
俺たちを引き離そうとするすべてから。

どこへ行くあてもない。追手がかかるのも目に見えている。
それでも、ユウの手が掌の中にあって、それだけで何か輝かしい場所に、辿り着ける気がした。
二人で夜の闇に紛れて教団を抜け出した時も、怖いことなんて何もなかった。
この先にはきっと希望があるのだと信じていた。

さながら、きらめく宝箱を前にした冒険家のように。
箱の中身はわからない。けれどきっと、想像もつかないような素晴らしい何かが、自分を待っているのだろうと。



中がからっぽであることなんて、知らずに。













「なんで・・・・・・・」




こんな終わりを迎えなくちゃならない・・・・?





涙が溢れて止まらなかった。顔をぐしゃぐしゃにした俺に向かって、ユウは柔らかに微笑む。
胸が痛い。 俺の指は、油断をすればすぐにでも弛んだ。 
自分を叱咤して、再びこの手に力をこめる。
ユウの首筋に絡みついた、この手に。




何を間違えたんだろう。




教団を飛び出したあの日から、少しずつ歯車は狂っていった。
教団から離れて、神の呪縛から、自分たちの運命から、放たれた気分になって。 そんなのはまやかしだった。
俺たちが逃げたことは、AKUMAが俺たちを狙わなくなる理由にはなりえなかったし。
教団だって、あらゆる手を使って俺たちを捕まえようとした。

わかっていたはずだ。 何をしたって、戦いは俺たちを放してくれない。
俺たちを取り巻く何からも、逃げようなんかないんだって。

気づきたくなかったから、知らないふりをした。
ずれた歯車は、ぎちぎちと耳障りな音を立てて、時計の歩みを少しずつ遅らせていく。
時計が動きを止めるまで、ついに俺は気づくことができなかった。








――俺を殺せ。

な、・・・・・・いきなり何いいだすんさ、ユ・・・

早く。 俺が俺でなくなる前に。

は? 意味わかんねェよ・・・・っ

俺にもよくわからねェ。 でも、このままじゃ・・・・





頭の中で自分を苛む声があるのだと、ユウは言った。


“逃げることは許されない  戦いを放棄するものには、裁きを”


最初は小さな囁きに過ぎなかったが、その頻度は増すばかりで、そして今や、自分の意識を呑み込まんばかりなのだと。
それに自分が食いつくされたとき、きっと自分は、何か恐ろしいものに変わってしまう。
だから――



「殺してくれ」



決然と告げられた言葉に足がすくんだ。
脳が言葉を理解することを拒否する。 それなのに腕は勝手に動く。


ユウは静かに目を閉じて、俺の手に身をゆだねた。











どうして。

どうしてどうしてどうして。

俺たちは幸せになるはずだった。
捨てたモノの代償に、わずかばかりだけどとても穏やかな、輝かしい時間をもらったはずだった。
どうしてユウが死ななきゃならない。
彼を死なせたくなくて、逃げて、きたのに。
罰を受けるなら俺じゃないのか。 唆したのは俺だ。 なのにどうして。
俺はこの細い首に手をかけているんだろう。


ユウの言葉をすんなりと受け入れた自分が一番理解しがたかった。
頭の中を疑問符が埋めて、何を考える余裕もない。


苦悶の表情を浮かべたユウは、かすれる息でかろうじて、言った。





「もっ・・・・たかっ・・・・た」







もっと一緒にいたかった。









瞳が閉じられる。


命が手をすり抜けていく頼りない感覚に慄然とした。




「う、あ・・・・・・・・」




こんなはずじゃなかった。
俺たちはもっと。もっともっと。

もっと。




「うわああああああああ!!!」
















びくん、と体がはねて、俺の意識は急速に引き戻された。


「・・・あ・・・・・?」


見慣れた自分の部屋。ジジイと共に割り振られた部屋のベットの上。
床が見えないほどに散乱した新聞紙から特有の匂いが香って、現実を意識させた。
ぐっしょりと汗をかいていて、気分が悪い。けれど、起き上がる気力もなくて俺はただぼんやりと天井を眺めていた。



やっとのことで起き上がり、風でも浴びようと外へ出た。
早朝の廊下は静まり返って、石造りの空間を冷たく清廉な空気が満たしていた。
と、それを切り裂くように、こちらへ向かってくる靴音がひとつ。


「・・・・・・ユウ」
「早いな」
「ユウこそ。 こんな朝っぱらから修行?」
「ああ」


そのまま立ち去ろうとしたユウを、思わず腕を掴んで引き留めた。


「何だよ」
「あの・・・・・さ、」


怪訝そうに眉をひそめるユウを前に、俺はそれを口にすべきか躊躇した。


「俺と逃げようって言ったら、どうする?」
「・・・・ばっかじゃねぇの」


ハ、と、さもくだらないといった様子で鼻で笑い飛ばして、ユウはさっさと廊下の向こうへ消えてしまった。


「・・・・・そう、ばかみたいさね・・・・・・」





手を取り合って逃げるには、俺はちょっとばかり大人過ぎて、彼はちょっとばかり強い人間だった。






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夢オチシリアス。お付き合いありがとうございました。
ユウちゃんがもっと弱くて、ラビたんがもっと浅はかな子だったら、こんな終わりもあるのかなと。
こっそり咎落ち編にも便乗な感じで(どこがだ)




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