「勝負しない? 別嬪さん」 目の前の男は不敵に笑んだ。 手はカードの束を弄んでいる。 その背後には気まずそうに身を縮めてうなだれている赤毛の男。 一見しただけで面倒事になりそうな状況に、神田はため息をつきたくなった。 「アンタが勝ったらコイツ、返してやるよ」 [card] ――それは数時間前のこと。 『ユウ! 街に遊びに行こうぜ!』 『行かねェ』 『まぁまぁそう言わんと! たまには息抜きも必要さ―』 『行かねェっつってんだろ。 俺はもう寝――っておいラビ!! ちょ、待て・・・・ッ』 半ば引きずられるようにして訪れた夜の街。 今日は年に一度の祭なんだとかで、街のあちこちに火が灯され、もう夜も遅い時間だというのにまるで昼のような明るさだった。 祭独特の浮き立った空気。 賑やかな音楽。 人々の喧騒。 流石にもう子供の姿は少ないが、そこここに杯を傾け、語り、歌い、踊る人々が見られた。 そんな空気に当てられて、軽い眩暈を覚えながら神田はラビに毒づく。 『おい、何考えてやがる・・・んな人混みに連れてきやがって。 AKUMAが紛れてたらどうする――』 『まぁまぁ。 俺とユウなら大丈夫さ! いいから、ついてきて』 そう言って、ラビは神田の手を引いて一軒の店に入った。 そこは酒場のようで、赤ら顔をした男達は新しく入ってきた若い二人にいぶかしげな視線を向けた。 じろじろ見られる不快感に、すぐにでも出ようとした神田を押しとどめ、ラビは彼をカウンター席へ進ませる。 なだめつすかしつしながらなんとか神田を席に着かせ、自分も彼の横に腰を下ろした。 苛立ちもあらわな神田の前に小鉢と箸が運ばれてきた。 『これは――』 『食べてみて、ユウ』 ラビに勧められるままに神田は箸を手にする。 口に入れ、期待を裏切られるということはなかった。 見た目から神田が想像したのと同じ味。 甘辛く炒められたにんじんとごぼうに、ごまが香ばしさを添える。 『きんぴら・・・・』 『おいしい?』 『・・・・・・・まぁな』 『それはよかったさ』 ラビは心底嬉しそうに微笑んだ。 『ここ見つけて、絶対ユウ連れてきたいと思ってさ! 珍しいだろ、日本料理出す店なんて。  んで、今日は祭だって聞いたから、見物もかねてどうかと思ったんだけど・・・・。  楽しめるわけねェよな。 ごめん、考えが回らなかった』 『別に・・・・』 『ん?』 『・・・・・なんでもねぇよ』 楽しくなくもない、答えかけてごまかす。頬が熱くなってくるのを感じて、箸を動かすのに頭を集中した。 顔が熱いのは店の中の熱気のせいだということにする。 その後もいくつかの料理が運ばれてきて、ラビは神田の横で「おいしい?」だとか「よくそんな棒うまく扱えるさね」など 取り留めのない茶々を挟みつつ、微笑ましげに神田が食べるのを見守っていた。 神田が、お前も何か食わないのか、と言えば、ユウがおいしく食べてるの見てれば十分と、満面の笑みで返される。 恥ずかしいやら何やらで、神田は黙ったまま黙々と料理を消費していった。 しばらくして、ラビは「ちょっとトイレ」といって席を立った。 いい加減ずっと眺められている状況にも限界だったので、神田は束の間の休息に息をついたのだったが。 それっきり、あらかた料理が片付いてもラビは戻ってこなかった。 これでコースは終わりだと、出された甘味までたいらげて、神田はさすがに探しに行くべきかと立ち上がった。 いくらなんでも遅すぎる。もしかしたらもう店にはいないのかもしれない。 とはいえ、このまま勘定を済ませて店を出てしまっていいものか。 ラビが自分を残してフラフラどこかへ行くとは思えなかったし、行ったにしてもここの戻ってくるつもりはあるだろう。 ならばここで待っている方がいいのではないか。 トイレが込み過ぎていてまだ済んでいない、なんて可能性だって全くないとは言えないし。 そう考えて、まずは店内の捜索から始めようとした時だった。 少し奥まった所のテーブルから、神田を呼びとめる男がいた。 くせのある黒い短髪をオールバックにして。 左目の下に泣きぼくろ。 足を組み、悠然と腰かけた男の手にはカードの束。 その辺の街の人々とは違う洗練された動きのようなものが、彼の仕草にはあった。 悔しげに男のテーブルを立ち去る別の男が、神田の脇を足早に通り過ぎて行った。 普段なら呼びとめられた所で無視をするだけだが、男の横にちんまりと座る赤毛を見てしまっては素通りもできない。 神田の視線に気づいたのか、男は赤毛――ラビに、知りあい?と囁きかける。 ラビは答えない。 男はもとより答えを期待していなかったのか、気にした風もなく神田の方に向き直ってにィっと笑った。 『俺と勝負しない? 別嬪さん。  アンタが勝ったらコイツ、返してやるよ』 そして現在に至る。 「彼とポーカーしててさー。初めはここのお勘定もってもらえたらラッキーくらいの気持ちだったんだけど、彼、熱くなっちゃって。  最終的には手持ちじゃ足りないとこまでいっちゃって」 おどけたように男は両手を挙げて、やれやれといった調子で首をふる。 「勝負は勝負だからさ。 こののままだと大人の社会の厳しさ実地訓練になるわけだけど、アンタ、さっき一緒に座ってたろ?  他人の介入は受け付けねェが、お友達の助っ人なら許してやるよ」 「ユウを巻き込むなよ、ティキ!!」 「はいはい、敗者に発言権はないの」 ラビはあっさりといなされて黙り込む。 親しげな様子が引っ掛かった。 好きにしろ、そう言い放って見捨てて帰るつもりだったのに、気づけば男の前の椅子を引いていた。 男はヒュウ、と口笛を吹き、そうこなくっちゃ、とうきうきカードを配り始める。 一方ラビは真っ青になり、 「やめるさユウ! 俺のことはいいから!」 「うっせェ。 元はと言えば原因作ったのはてめェだろ。 ったくいつまでも帰ってこねェと思えば・・・」 「うっ・・・・。 きょ、きょうはカードやるつもりなかったんさ・・・・なのにコイツが何癖つけてきて」 「ニタニタしながらうわの空で歩いてっから俺のボトル引っかけて倒したりすんだよ。せめてカードくらい付き合うのは当然だろ。  こっからは賭けな、って途中でちゃんと断ったし」 「・・・・・・・救いようのねェ馬鹿だな」 神田がしみじみ言うと、ラビはショックを受けたようにたじろぎ、次いで男を睨みつけた。 「いつもはボロ負けしても勘定持つだけで許してくれるのに・・・」 「いつもはいつも、だ。 あんまり甘やかしてっとためにならないからな」 美人のお連れさんもいるみたいだし、と男は薄い笑みを上らせる。 「・・・・・・知りあいなのか?」 「こいつ、よくこの店でこうやってカードしてるんさ」 「そう頻繁でもないんだけどな。 どういう訳かラビとはよく顔を合わせる。  ・・・つっても、そう何度も会ったわけでもないか」 ほい、アンタのカード。 言って渡されたトランプを神田は受け取る。 「ドローポーカーでいいか? ルールは当然わかるんだよな?」 「ああ」 とりあえずうなずくが実際はさっぱりだ。それを知っているラビは神田に心配そうな視線を送る。 「最初に断っておくが、俺がラビを賭ける以上アンタにもそれと同等以上の何かを賭けてもらうぜ。フェアにな。  もちろんイカサマはなし」 「俺自身を賭ける。 なら文句ねェだろ」 「だ、だめさ!! そもそもユウポーカーできな・・・・」 「てめェは黙ってろ」 ギロリと睨まれてラビは口をつぐむ。 二人のやりとりを面白そうに眺めながら、ティキ。 「へぇ初心者? ホントにダイジョブ?」 「問題ない」 「ま、いいって言うならいいけど」 「よくないさ! ってオイ変なとこ触んな!!」 「せっかくお友達が頑張ってくれようってんだから静かに見てろよ、ラビ。後で目一杯かわいがってやっから」 「・・・さっさと始めるぞ」 何やらひっついてごちゃごちゃとやっている二人が無性に腹立たしくて、神田は吐き捨てるように言った。 イライラして集中できない。秩序も何もなく並んだこの五枚のカードをどうしたら勝てるのか。 そんな神田の内心を知ってか知らずか、男は俺が先行ね、と一方的に宣言して、幾枚かのカードを山札のものと交換した。 カードを一瞥してニヤリ、と笑い、神田を促す。 「アンタの番だよ」 とりあえず男がやったようにカードを交換し、眺めてみる。  確か数字かマークを合わせたり、順番に並べたりすりゃいいはずだ。  かろうじて5のカードが三枚ある。 とりあえず役はつくだろう。 しかし、勝ち誇ったような男の様子が気になった。  勢いで勝負に乗ったことの後悔がチラリと頭をよぎる。 ラビと男の親しげな様子が何故だか凄く癇に障って、それで・・・・・。  鼓動が大きく聞こえる。 時間の歩みがひどくゆっくりに感じられた。 男がまさに手札を広げようとしたその時。 ジリリリリリリリリリリ 電話のベルがけたたましく店内に響き渡った。 すかさず取った主人は何度か応答を繰り返し――受話器を握ったまま誰かを探すように店内を見回した。 「ティキってやつはいるか――」 「ああ、それ俺だ」 主人の呼びかけに応えて手を挙げ、男はカードを伏せたままテーブルに置いて席を立った。 しばらくして戻ってくると、おもむろに神田の手からカードを抜き取り、自分の札や山札のカードもろとも 一まとめにして片づけてしまった。 状況について行けずに神田は呆然とする。 「おい――」 「勝負はオシマイ。 途中棄権で、俺の負けでいい。ラビも返してやるよ」 「・・・・・・・納得できねェ」 「だろうな。 俺ももうちょっと遊んでたかったんだが、仕事じゃしょうがない」 さっさと上着を身につけ、シルクハットをかぶった男は、およそこんな場所には似合わない気品を漂わせていた。 「じゃあな、ラビ。と・・・・ユウちゃん? あんまり夜遊びすんじゃねーぞ」 神田が何か言うより早く、男はドアの向こうに消えていた。 帰り道。街を出て、辺りにはすっかり人影もない。 夜風に髪をなびかせながら、これまで黙ったままだった神田はようやく口を開いた。 「お前、しょっちゅう行ってんのかよ」 「え」 「あーいう店」 「・・・まぁ、行かなくもない、かな」 どうにも歯切れの悪い口調に神田は苛立ちを覚えた。 お互い仕事でホームを離れていることも多い。 アイツがホームにいる時何をしているかなんて、 いちいち知ったことではない、そうなのだけれど。 自分の知らないラビがいるのは、わかっていてもなんとなく気に入らなかった。 バカバカしい。  自分で自分がわからなくなって、神田は歩調を速めた。 「ユウ・・・・怒ってるんさ?」 ラビもそれについてくる。 神田はぶっきらぼうに答えた。 「怒ってねぇよ」 「・・・安易に人の集まる場所をウロウロすんのは危ないってわかってるさ。 でも、・・・」 「怒ってねェっつってんだろ。 好きにしろ。 どうせまた、俺に言えねェことなんだろ。聞きやしねェよ」 エクソシストである前に、彼はブックマンの後継ぎなのだ。 その関係でしょっちゅう書庫に籠っていたり、イノセンスやAKUMA絡み以外のことで外出していることも多いのは知っている。 その時決まって、気まり悪げに口を閉ざすのも。他のことは黙っていても自分から話すだけにわかりやすい。 第一、別にプライベートで飲みに行ってたからと言って詮索なんてしない。 どれほど狭量だと思われているのか。 ふと視線をめぐらせば、傷ついた顔をしたラビがいて、神田は深くため息をついた。 「・・・・・怒ってない。 本当だ」 「うん・・・」 「辛気くせェ顔すんな」 「・・・・・・折角、ユウを喜ばせてやろうと思ったのに、今日は・・・ほんとごめん」 「飯はうまかった。 お前の馬鹿ぶりには慣れてるから気にすんな」 「・・・・・・」 言葉を重ねてもしょんぼりとしたままのラビに神田は頭を抱える。 萎れたウサギなんてどう扱っていいかわからない。 ずーんと沈んだ表情のまま、ラビはぼそりと呟く。 「ユウが・・・・」 「あ?」 「ユウがティキに目ェつけられちゃったさ!! どうしよう・・・・ッ!!」 「・・・・・・・・・」 呆れて言葉もない神田そっちのけで、ラビはなおも言いつのる。 「あの目!! 絶対俺ユウを釣るためのダシに使われたんさ! いつもはもっとだるそーな感じなのに、  今日はイキイキニヤニヤして・・・」 「・・・・・お前狙ってたんだろ・・・・あのままだったら拉致られてたぜ」 「美人さん、とか別嬪さん、とか俺に使ったことないさ!!」 「仲は良さそうだった」 イラつくくらいにな。 気付かないうちに零れてしまっていた言葉を目ざとく聞きつけ、ラビは動きを止める。 「ユウ・・・」 「あ?」 「それってもしかして、やきもち・・・・・」 期待に胸を膨らませています、と言った顔のラビを鼻で笑ってやる。 「違ェよ、ばーか」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三つ巴祭第三段、ティキ→ラビュでした。 これだけ遅くなったのは一番構想がしっかりしてなかったからです。申し訳ない。 たまにはラビたんが色目つかわれてユウちゃんやきもきしたらいいんじゃない、ってそれくらいしか考えてませんでした。 ヤマなしオチなしイミなし・・・・       ・BACK・